ふじもと歯科診療室

東京都稲城市東長沼3103-12
Tel/Fax: 042-378-7105

院長紹介

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藤本 卓(たく)
 

出身地を訊かれると、とっても困る小学校5つ、中学校4つを渡り歩いた自称「転校王」。「ここにきて良かった」と患者さんに言っていただけることを目標に、日々診療に取り組んでおります。

 

趣味は、仕事と読書と酒&パイプ。

 

好きな言葉が「真理は常に少数派とともにあり」の天邪鬼。

 
  • 昭和38年1月 生まれ
  • 昭和62年3月 東京歯科大学卒業
  • 平成5年10月 稲城市にて開業
  • 平成17年9月 現在地へ移転
     
  • 日本歯周病学会会員
  • 日本ヘルスケア歯科研究会会員
  • 日本障害者歯科学会会員
  • 日本臨床歯周療法集談会会員
  • 総武臨床研究会会員
  • 口腔感染症懇話会会員
  • 南多摩予防歯科研究会会長
  • 八南歯科医師会稲城支部副支部長

子供時代

出身地を訊かれると、いつも答えに困るほどあちこち引越しした私ですが、生まれてから小学校4年生までは、宮崎県延岡市ですごしました。 幼い子供の足でも、ちょっと歩けば山あり、川ありの自然に囲まれた、人の気風もとっても良いところで、今でもとても懐かしい場所です。 毎日、暗くなるまで外で走り回っていたようで、小学校に上がる前から、母親が心配して名前と住所が記入された札をいつも服に留められていました。

 

喜怒哀楽の激しい性格だったようで、歯医者に行けば、口は開かない。耳鼻科に行けば、暴れる。床屋でもじっとしていないと、だいぶ両親を手こずらせたそうです。 延岡市の中でも記憶にあるだけで3回ほど引越しました。その後、小学校4年生で東京に引越し、同級生のあまりの大人ぶりに驚きましたが、さらに、半年ほどで、西ドイツに引越し、今度はカルチャーの違いに驚かされました。 今でも周囲の人から、変わった考え方をすると言われることがありますが、このときの経験からきているのかもしれません。

 

父親は、サラリーマンでした。とても子煩悩なうえ、活動的な人だったので、幼いころから休日というと、家族でどこかへ出かけるという一家でした。今でも、思い立ったらすぐ行動するのは、この父の影響かもしれません。 長男ですから、期待もあったでしょうが、特にどうこう指図されたこともなく、割となんでも自由にやらせてもらえました。しかし、高3の時に、数靴魘気┐討發蕕辰討い泙靴燭ら、並みの人ではなかったようです。

 

中学・高校時代

中学2年生で西独から大阪に帰国し、それまでのノンビリした生活から受験勉強に放り込まれました。帰国前にしばらく日本人学校に通い、それなりに勉強していたつもりでしたが、まったくお話になりませんでした。部活もバスケットボール部に入りましたが、練習がキツく大変でした。しかし、友人にとても恵まれ、人種差別の影響でちょっと人嫌いになっていた性格も、多少は変わったように思います。

 

高校入学時に、再び父親の転勤で東京に引っ越すことになり、寮が完備しているということで、神奈川の高校に滑り込みました。 当時は、飛行機が大好きで、将来は絶対飛行機に関わる仕事につくと決めていましたが、それまで2.0だった視力が、2年生の時に急に落ちてしまい、物凄い挫折感を味わいました。

 

父親の、「お前は、組織の中でうまくやっていけるタイプじゃないから」という言葉と、それまで転校が多く、自分の居場所を自分で決められないような職業には就きたくなかったので、「面白そうな自営業」という、非常に安直な理由で歯科医師になることにしました。 もともと、医療には興味があったのですが、人の生死に関わらない分野が良いと思ったこともあります。

 
 

⇒「大学時代」へつづく

⇒「ふじもと歯科診療室を開業して」へつづく


Last-modified: 2008-01-10 (木) 18:24:26 (3606d)